入寮して三日目の朝を迎えます。一日目は寮の部屋に入るや否や爆睡、二日目はオリエンテーションやSSN取得、銀行口座開設、日用品の買い出し、そして、三日目は学校が休みだったので、朝から何をしようかとあれこれ考えていましたが、とりあえず、食堂に朝食を食べに行きます。
3人の留学生女性
食堂に行くと、ESLのタイ人と香港人の3人の女性が食事をしていました。私は、トレーの上に、スクランブルエッグ、ソーセージ、パン、アップルジュースをのせて、彼女たちが座っているテーブルに行きます。3人の女の子たちは英語がそこそこできるようで、楽しそうに普通に会話をしていました。私は英語でコミュニケーションがほとんど取れないので、3人の会話にはなかなか入れなかったのですが、香港の子が根気よく私のBroken English(片言英語)を聞いてくれて、それをタイ人の子達に通訳してくれるみたいな感じで会話が成立していました。タイ人の子達は、友達同士で留学していて寮の部屋も一緒なので毎日が楽しいと言っていました。私の寮の部屋には、まだルームメイトがいなかったのですが、そのうちルームメイトが来るんだろうな程度に考えていました。香港人女性は、話す聞くは問題ないが、グラマー、ライティング、リーディングをESLで学ぶようなことを言っていました。彼女たちから私のことを聞かれたので、年齢が24歳と言った時に彼女たちに物凄い驚かれてしまいます。彼女たちには「24歳でESL?今まで何してたの?」のように言われていたんだと思います。まぁ、24歳でESLなんて普通じゃないことだけは確かでした。その後もいろいろ話をして、彼女たちと昼食も一緒にとる約束をして部屋に帰ります。
将棋やろうぜ!
部屋の中でベッドに寝っ転がりながら、これから何をするか考えている時に、ドアを叩く音が聞こえたので、こんな朝っぱらから誰だろう?と思いながらドアを開けると、眼鏡をかけた黒髪ロン毛の男の人が立っていました。私が「誰ですか?」と言うと、「日本人?」と聞いて来たので、「はい」と答えると、「Japanese chessできる?」と聞かれたので、「Japanese chess?」って何?みたいに答えたら、彼が「あっ、将棋、将棋」と日本語で言ってきたので、「将棋ならできますよ」と答えると、嬉しそうな顔をして私に彼の部屋に来るように言ってきます。彼の強引さに負けて、部屋の鍵を閉めて彼の部屋に行くのですが、彼の部屋が私の部屋のすぐ近くだったので、これも何かの縁のように感じていました。彼は部屋に入るや否や、テーブルの上に将棋盤を置き、早速将棋をやることになります。将棋をやるのは、多分、13年ぶりぐらいだったと思います。彼と5回くらい将棋をして、実力がほとんど拮抗していることが分かり、お互いに将棋に満足していました。この時は、これから毎日この部屋で将棋をすることになるとは、全く想像もしていませんでした。
台湾語、北京語、広東語
将棋をやった後で、ランチを摂りに彼と一緒に食堂に行きます。食堂にはタイと香港の子が来ていたので、5人で食べることになるのですが、彼が台湾人であることは将棋をやっている時に聞いていて、当然、香港の子と中国語で会話をすると思っていたのですが、二人が英語で会話をしていることに違和感を感じた私は、Wさん(台湾人)に何で中国語で話さないのか理由を聞きます。彼は、「香港は広東語を話すから通じない」みたいに言ったので、「どういうこと?」と聞くと、中国語には、北京語とか広東語とかあって、言語によっては通じないみたいなことを言っていました。台湾語は基本的に北京語だから、北京語は通じるけど、広東語は通じないと教えてくれて、中国語の奥の深さを知ることになります。香港の子は、たまに顔を出す程度で台湾コミュニティーには属さなかったので、やはり、言葉の壁みたいなのがあったんだろうなと思われます。むしろ、私の方が台湾コミュニティーの一員だったかのように、その後、台湾人の人々と関わって行くことになります。
24歳で何でESL?
台湾人のWさんと別れて、女の子3人と4人で大学の周りを散歩することになります。大学の敷地内は緑が多く、よく整備された芝生の間に通路が敷かれているので、散歩にはもってこいでした。彼女たちは、何で24歳でESLなの?ということが気になっているらしく、香港の子が「軍隊にでもいたの?」と聞いて来たので、「軍隊ってw」と思わず笑ってしまいます。あんまりしつこく聞いて来るので、「この子達、もしかして、俺のことを犯罪者でアメリカに逃亡してきたとか思ってんのかな?」と勘ぐってしまう程でした。彼女たちには、留学費用を稼ぐために働いていたと言うのですが、私のように貧乏人でも留学できてしまう日本と違って、日本以外のアジアの子達は、ほぼ全員が富裕層の子息・令嬢だったので、留学費用を稼ぐなんていう発想があるわけもなく、働いているなら留学なんかする必要ないんじゃないの?みたいな感じで、私の説明には全く納得していませんでした。
24歳で何故留学したのか
24歳で何故留学したのかは、簡単に言えば、私の人生が15歳の時に関西に転校した時点で詰んでいたからです。転校してからは転落人生をまっしぐらで、最終的には、父親のコネで父の勤める会社に正社員として勤めるか、留学するかの2択になって、留学の道を選んだというわけです。その時の私は、未だにKさんのことを忘れられないでいました。1985年12月から1994年8月までの約9年間、Kさんのことをひたすら思い続けていました。自分の中には、このままではいけない、この虚しい片思いに決着を付けなくてはいけないという思いが常にあり、留学をすれば彼女のことを忘れられるんじゃないかというのが、留学をする一番のモチベーションになったことは確かです。


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