長野に来てあっという間に一ヶ月近くが経ち、13歳という若さで亡くなってしまった従妹の死のショックからようやく立ち直りつつあったのですが、あまりにも無情としか言いようがない、驚くべきニュースが突如舞い込んできます。
突然の父の訪問と悲しい知らせ
8月12日の日航ジャンボ機墜落事故から数日経ったある日の午後6時過ぎに、千曲川の河川敷にある池で釣りをしていると、グラウンドの方からこちらにやって来る人影を目にします。もう日が暮れかけていたので「こんな遅くに誰だろう?」と思っていたのですが、「やっぱりここにいたか」という声が聞こえ、それが父であることが分かりました。
俺「えっ?!何でここにいんの?ていうか、どうして俺がここにいるの分かった?」
父「この時間ならここしかないだろうと思ってここに来てみた」
俺「超能力者かよw」
父「2~3日しかいられないんだが、直接話したいことがあってな」
俺「そんなことでわざわざここまで来たの?」
父「行きたいところもあってな」
俺「そうなんだ、で、直接話したい事って?」
父「実はな・・・、関西に転勤することになってしまった・・・、まぁ、左遷てやつだ。それで、お前にも一緒に関西に来て欲しいんだが・・・ダメか?」
俺「それって関西の高校に転校するってこと?」
父「転校先の学校はまだ決まってはいないんだが、決まったら転校してもらいたい」
俺「この歳で転校とか有り得ないでしょ、無理だし、嫌だし、1人で暮らすし」
父「家族がバラバラになるのは良くないと思うんだよ、父さんは」
俺「もう浮きも見えないくらい暗いし、とりあえずとら食堂にでも行ってゆっくり話そうよ」
この後、とら食堂で話をしますが、父は家族が離れ離れになるのは良くないの一点張りでした。
懐かしい場所
翌朝、父が突然海に行こうと言い出し、直江津へ行くことになります。長野から直江津へ向かう電車の中で、二人で何を話していたのかは忘れました。そして、直江津の海に着きます。
父「この場所覚えているか?ここに来たのはだいぶ前だから覚えてないかもしれんがな」
そこは亡くなった従妹が園児の時、彼女が旅館の部屋に入った途端、海の家に幼稚園の宿題とお道具箱の入ったバッグを忘れたと泣き出し、みんなで海の家や砂浜、ゴミ箱、旅館付近を隈なく探したのですが、結局バッグは見つからず、みなで途方に暮れていました。その間もずっと従妹は泣き続けていて、旅館の女将も従妹を心配して付き添っていてくれていました。その時女将が「本当に海の家に忘れたんですか?タクシーの中という可能性はないんですか?」と言い出し、電話帳を持ってきてタクシー会社に電話をしてくれました。女将の言う通りタクシーの中に置き忘れていて、タクシーの運転手が旅館までバッグを届けてくれました。その時の従妹の喜ぶ姿は今でも忘れられません。
俺「あの時は大変だったよなぁ・・・」
父「3時間くらい泣き続けてたよな」
俺「バッグが見つかった時は親父にジャンピング抱っこしてたよねw」
父「あの時は本当に可愛かったよなぁ」
俺「可愛かった」
父「13歳だぞっ、13歳で・・・、ううっ」
この後しばらく二人で海を見ながら泣いていました。
果たせなかった思い
直江津からの帰りに長野駅近くの蕎麦屋で夕食を摂っている時に、父が従妹の話をし始めます。
父「去年、Hのことをあの海へ連れて行ってやりたかった」
俺「去年は一緒に旅行へ行けなくて残念だったよね。あれが最後の旅行になるはずだったのにね」
父「Hと旅行するのは久しぶりだったから楽しみにしてたんだが、来れなくなってしまって本当に残念だったよな」
俺「俺も楽しみにしていたんだけど、まさか来られなくなるとは思ってもいなかったなぁ・・・」
父「軽井沢とか穂波温泉とか、いろいろなところに連れて行ってあげたかったという思いがある」
俺「俺もさぁ、昔二人でよくチロを散歩させてた千曲川の土手を、久しぶりに二人で歩きたかったんだよなぁ」
1984年の夏休みに、従妹が須坂に来るはずだったのですが、部活で来られなくなってしまったということがあり、そのことを二人で悔やんでいました。ただ、その時一緒に須坂で過ごしていたら、もっと悲しみが深く、立ち直れない程のダメージを受けていた可能性もあるので、それはそれで良かったのかなぁと思っている自分もいます。


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