【高校時代の思い出27】恩師である家庭教師宅にお世話になることに

バイトをしない限り一人暮らしができないということで、関西への転校は不可避と思われていましたが、土壇場で私の家から徒歩10秒の好立地にある恩師である家庭教師の実家にお世話になることが決まります。私の母が家庭教師の母親と6年来の友人だったことが幸いしたのだと思います。

スポンサーリンク

家庭教師との出会い

お世話になることになる恩師である家庭教師とは、私が小学校6年の時に出会います。父が船橋駅近くにあったながなみという焼き鳥屋で知り合った塾長と、私を夏休みに夏期講習に通わせるという約束をしたらしく、お金も払ってあるからとにかく行って来いという無茶苦茶なことを言われ、私は仕方なく、船橋駅前のビルの中にあったその塾に行くことになります。そこで塾講をしていたのがこの家庭教師でした。夏期講習修了後も、父が飲み友達の塾長に懇願されたらしく、私はその塾に通うことになります。塾には中学受験が終了するまでいましたが、結局受験した中学には全部落ちてしまいます。その家庭教師とは半年ぐらい勉強を教えてもらっていましたが、塾にはそれ以降行っていないので、関係はそこで終わるように思われていました。

スポンサーリンク

思いがけない再会

家庭教師と最後に別れたのが1982年3月で、それから2年7か月後の1984年10月下旬に再会することになります。高校は部活の仲間達と剣道推薦で入ることになっていましたが、突然、母が、知り合いの人の息子が家庭教師をしていて、生徒を募集しているから私にそこに行くように言い出します。もちろん私は断固固辞しますが、結局無理矢理その家に連れて行かれてしまいます。そこで出会ったのがあの塾講でした。こんな近くに住んでたのかよwというのが第一の感想でした。その家庭教師に、そもそも受験する気は全くないし、剣道推薦で高校に行くことが決まっているからと言って帰ろうとしますが、折角来たんだから今日だけでも一緒に勉強しないかと言われ、仕方なく勉強することにします。教え方が上手かったんだろうと思いますが、とりあえず、一回2時間で週2日という条件で家庭教師のところへ行くことにします。11月の三者面談の時に、担任から今の成績では行ける高校がないと言われますが、母が担任に、家庭教師を雇ったので何とかなるのではないかと話し、担任もその話を聞いて安堵していました。12月の模試で英語の偏差値85を叩き出したように記憶しています。全体では60だったので、第一志望だったS高(偏差値64)は無理だろうと言われましたが、最終的にS高に合格し家庭教師も大喜びしてくれました。この時に先生は、わざわざ合格発表を現地まで見に行ってくれています。当然、第一志望校であるS高に行くはずだったのですが、父から家庭教師代が結構かかったから公立高に行って欲しいと懇願されたので、何だよそれw本末転倒じゃねーかよwと言いながらも、折角受かった私立のS高を捨て、渋々公立校のI高に行くことにします。ちなみに、家庭教師は、何でS高に行かないのかと憤慨していました。

スポンサーリンク

無料家庭教師付きの厚待遇

先生と先生の母親から私が住む部屋を案内され、学習机やベッドがある快適な部屋で、その後、台所、トイレ、洗面所、お風呂に案内され、共用スペースは自由に好きな時に使っていいと言われます。自分の家とは比べ物にならない快適な生活が約束されることに感無量になります。しかも、先生に勉強を見てもらっても、一緒に住めば家族同然なんだからお金は取らないと言われ、無料で勉強を見てもらえるとのことで、あまりの厚待遇に驚かされました。先生の母親から、「一生懸命勉強してお兄ちゃん(先生)より出世しなさいと言われた時に、先生が「俺より出世するには東大に入るしかないぞ」と笑みを浮かべます。私は、「東大に入って先生より出世することでこのご恩に報います」と涙ながらにお礼をします。先生宅から帰る時にしばらく冬の夜風に当たりながら、後は彼女に直接会って、俺はお前のためにここに残ると言いさえすればいいだけだなと、そんなことを考えながら寒空の下を歩いていました。

この時は、約束された未来とバラ色の高校生活が送れることに有頂天になっていました。勉強に恋に部活(同好会)を頑張ろう!と、自分の人生は順風満帆だと、そう信じていました。

スポンサーリンク
スポンサーリンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました