中学を卒業してからが高校生だと思うので、中学卒業後に友達と二人で行った、長野県須坂市への卒業旅行の思い出から書いてみたいと思います。この旅行が決まる前にも、仲の良かった友達から、スキー旅行を誘われていたのですが、スキーをやったことがないという理由で断っていました。その友達とは、中3の夏休みに2泊3日の伊豆旅行に行く程に仲が良かったのですが、中学卒業後は、一度も合っていません。
1週間の釣り旅行
卒業旅行に一緒に行った友人は、中1の時に、秋川渓谷や高麗川へ行ったりした同じ部活をやっていた釣り仲間でした。彼と釣りに行くと必ず坊主だったので、それ以来、一緒に釣りには行っていませんでした。卒業旅行も、釣り旅行ということで誘ったのですが、実際には、温泉旅行という感じになってしまいました。1週間の旅行での釣果は0でした。全坊主という結果に終わってしまったということです。
いざ、長野県須坂市へ
3月14日か15日の卒業式が終わるや否や、急いで教室を出ていきました。本来なら、お世話になった教師に挨拶したり、友人達と名残を惜しんだりするのでしょうが、そういうことを一切無視して、さっさと教室を後にしました。校舎の出入り口のところで、大勢の在校生達がたむろしていて、その中にいた部活の後輩達から、「〇〇先輩!」と呼び止めらたのですが、ガン無視して後ろ髪を引かれる思いで猛ダッシュで家路を急ぎました。とにかく2時までに上野駅に行かなくてはいけなかったので、立ち止まっている暇はありませんでした。家に着くとすぐに着替えて、旅行バッグを抱えて急いで待ち合わせ場所の船橋駅に行って、そこから京成線で上野駅へと向かいました。上野駅から長野へ向かう急行列車では、女子大生とその母親と向かい合わせで座ることになったのですが、この教育ママ風の母親から、「僕たち、歳はいくつなの?」、「学校は?」、「どこへ行くの?」、「二人はどういう関係?」、「長野に何しに行くの?」、「向こうには知っている人がいるの?」等、質問攻めに遭いました。隣に座っていた娘さんから「お母さん、失礼でしょ!」と窘められていましたが、その後も一切お構いなしでした。その母親から煎餅をもらう時に、友達は、両手を差し出して受け取ろうとしたのですが、自分は、袋の中に手を突っ込もうとして、母親から、「汚いでしょ!マナーがなっていない」と叱られてしまいました。娘さんが、「お母さんも言い方がきついよ」と庇ってくれましたが、この時の出来事が未だに忘れられません。彼女達と別れた後は、長野駅まで爆睡してました。長野駅に着いたのは20時近かったです。長野駅の蕎麦屋で夕食を済ませて、長野電鉄に乗って村山駅まで行って、そこからバスで相之島まで行って、目的地に着いたのが22時近かったです。
山田温泉と雷滝の間で猛吹雪に遭う
最初の数日は、千曲川の河川敷にある池、村山の水門、八木沢川なんかで釣りをしていたのですが、全然釣れませんでした。というか、雪がかなり積もっていて、釣れる気が全くしませんでした。とりあえず、せっかく長野まで来たんだから温泉へ行こうということになって、高山村にある山田温泉に行くことにしました。山田温泉には、過去に十数回行っていたので油断があったのかもしれません。山田温泉に着くと、松川渓谷にある雷滝まで歩こうということになり、雪の積もる道路を上へ上へと登って行きました。しかし、途中で、猛吹雪になってしまい。凍死寸前のところで五色温泉方面から下りてきた親子連れの車に拾われ命拾いをしました。山の天気は変わりやすいことと、冬山は舐めたら命取りになるということを痛感させられました。その後、2時間くらい温泉で芯まで冷え切った体を温め、バス停近くの蕎麦屋で、温かい信州そばを食べて帰宅の途に就きました。
東洋一の岩窟風呂が売りの仙仁温泉へ
釣り紀行か何かの本を読んでいた時に、須坂市に東洋一の岩窟風呂があるということを知って、是非一度行ってみたいと思っていました。須坂市相之島へは、4歳からほぼ毎年、多い時は、年5回来ていましたが、仙仁温泉に行ったことは一度もありませんでした。11年目にして、初めて、同じ須坂市にある 仙仁温泉へ行ったことになります。 仙仁温泉には、午前10時ぐらいから午後3時過ぎまで入っていました。かなり奥まで続く洞窟に、さすがに信玄の隠し湯と言われただけはあると感心させられました。途中で、若い女性が一人とおばさん集団が入ってきましたが、若い女性の方は、私達の存在に気付くと逃げるように出て行ってしまいましたが、おばさん達の方は、堂々と一緒に入浴していきました。「こんなおばさん達の裸なんて見ても嬉しくないよね」と申し訳なさそうに言っていたのが印象的でした。温泉から出た後は、ジュースを飲みながらゲームをやっていましたが、金髪の外国人おばさんが、「Where is the spa?」みたいに聞いてきたので、場所を教えてあげたのですが、外国人観光客がいたことに驚かされました。帰り際に宿の従業員から、もう遅いから泊まっていったらと言われましたが、貧乏旅行なので~と言って、宿を後にしてバス停へと向かいました。しかし、帰りのバスから、女子大生と思われる集団が降りてきた時は、やっぱり泊っていけば良かったなぁ・・・、と少し後悔しました。仙仁温泉にはこの1年5か月後の1986年8月に、友達3人と再訪したのですが、ひなびた温泉宿から、立派なホテル風の建物に新築され、しかも、日帰り入浴もできなくなってしまっていました。かなりショックだった記憶があります。
あっという間の一週間
温泉はお腹いっぱいになったので、再び釣りに挑戦したのですが、やはり、どこで釣っても釣果が芳しくなかったので、少し足を伸ばして、笹平ダムにでも行ってみようかという話になって、というのも、件の笹平ダムは、2か月前にバス事故があって、多くの犠牲者が出た事故現場だったからです。テレビでもたまに、この事故のことを目にしていたので、慰霊も兼ねて釣りにでも行こうかという感じでした。しかしながら、山田温泉でのあわや凍死という苦い経験もあったので、現地は雪も凄そうだということで、結局、行くのを断念しました。そうこうしている間に、あっという間に、短い1週間が過ぎてしまい、最後の夜に、ダスティン・ホフマン主演の映画「卒業」を見て二人で感動し、次の日、いろいろな思いを馳せながら帰京しました。
最後に
1週間の外食生活で、とら食堂にはかなりお世話になりました。この4か月後にも「とら食堂」にはお世話になることになります。本当はもっといたかったのですが、友人が、帰った次の日から、高校で部活が始まるということで帰らざるを得ませんでした。その高校には、自分もスポーツ推薦で入る予定だったので、つくづく入らないでよかったと思いました。



コメント