1985年7月20日(土曜日)、私は1人上野発長野行きの急行列車に乗車していました。今回の1人旅の目的は、須坂にある別邸(ただのアパート)で1人になって、6月に起きた衝撃的な出来事によって深く傷付いた心を、ゆっくりと時間をかけて癒すことでした。
一枚の写真
午後10時頃に長野県須坂市にある別邸に到着すると、机の戸棚に1ヵ月前に亡くなった従妹が写った写真が飾られていました。その写真は、自分、姉、従姉が二人、従妹が一人(亡くなったいとこ)、ペットの犬(5年前に失踪したヨークシャテリア)が写っている写真で、それを見た瞬間に涙が溢れ出てきました。6~7年くらい前に千曲川の中州で撮られたその写真に、心が深く抉られるような感覚を覚えました。その夜は、あまりにも懐かし過ぎるその写真を見ながら泣き落ちしました。この時の私に必要だったのは、誰気兼ねなく好きなだけ泣ける環境だったのです。
消化できていなかった従姉妹の死
2歳違いのいとこの死は、そう簡単に消化できるはずもなかったことに、ここに来て初めて気付かされました。いとことの思い出が詰まった場所であるこの長野県須坂市に来たことで、抑えていた感情が爆発、もしくは、抑えていた悲しみが噴出してしまったように感じざるを得ませんでした。こっちに来て一週間は、この道もよく二人で歩いたな、この店もよく一緒に来たっけな、この用水路も二人でよく魚とりしたな、この千曲川の土手でよく二人でチロを散歩させたなと、走馬灯のように次々と思い浮かぶいとことの懐かしい過去を回想する度に、所構わずひたすら泣いていました。人はこんなに泣けるのかという程泣いていました。思い出の千曲川の中州へ行き、そこで思いっ切り言いたかったことを叫び、気持ちが落ち着いた後で小石を積み上げて墓標を作り、「お前のことは一生忘れないからな」と言って中州を後にしました。
日本航空123便墜落事故
須坂市に来て3週間が経ち、気持ちがようやく落ち着いた時に、日航ジャンボ機墜落事故が起きました。連日過剰に報道されていたこの事故を扱ったテレビ番組を見て、愛する人を突然失った遺族の深い悲しみに共感することで、再び悲しみが込み上げてきました。特に、テレビで救出される12歳の少女を見た時に、この少女を従妹と重ね合わせて泣いている自分がいました。520人の犠牲者には、その死を悲しむ何千人もの遺族がいると思うと、いたたまれない気持ちでいっぱいになりました。涙が枯れるまで泣いた記憶が今も鮮明に残っています。
あの時救出された少女をネットで調べたら、川上慶子さんという名前が出て来て、そう言えば、そんな名前だったなぁと懐かしい思いがしました。今は結婚して子供が3人いるとのことで、いとこも生きていたら子供や孫がいたのかな・・・と、そんな思いに駆られました。この43泊44日の1人旅はいろいろな意味で実り多き経験となりました。


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