関西への転校の件は、リスクがあまりにも大き過ぎるということで一旦は白紙になったのですが、兄弟二人の暮らしが想像を絶する劣悪な生活環境だったということで、徐々に転校する方向へと傾いていきます。とりあえず、転入試験を受けるべく関西へ行くことになり、少しでも試験勉強ができるように、転入試験の1週間以上前に現地入りすることにします。
再び関西へ
学校帰りに制服のまま関西へと向かいます。新大阪駅から阪急梅田駅へ出て、阪急宝塚線に乗り清荒神駅で下車します。そこから会社の寮までは徒歩10分くらいだったので、この行き方が一番近いことが分かりました。寮に着くや否や、両親に船橋での窮状を訴えます。そこでの結論は、3重生活は経済的に厳しいので、私が1人でアパート暮らしをする場合はバイトをする必要があるということ、バイトが見つからない場合は宝塚の高校へ通うということでした。もちろん、宝塚の高校が転入を受け入れてくれることが大前提なのですが、最終的な決定は12月下旬まで分からないみたいなことを言われたようです。何れにしても、転入試験には絶対に受からなければならないので、試験日まで勉強に集中することになります。
転入生の悲哀
会社の寮から学校までは徒歩で30分くらいなので歩いて行くことにします。学校に着くと試験を行う部屋へと案内されます。そこには面接の時に会った偏差値70の進学校に通う彼がいました。当時は彼が通う高校のことを全く知らなかったのですが、転入試験の後で教務主任から彼が通っている高校が偏差値70ぐらいあると聞かされます。この時の私は、彼に対してかなりの劣等感を抱いていました。というのも、彼は高偏差値だけではなく、顔も当時人気だった吉川晃司に似ていたり、身長も180㎝以上あって178㎝の私より高身長だったりと、あらゆる面で私が彼より劣っていたからです。実際、彼の転入後の女子人気はかなり高く、彼と比較されて私は女子からハズレ扱いされていました。一番頭に来たのは、転入試験の成績も転入後の学年順位も私の方が上だったにも関わらず、理数コースは私ではなく彼ということに決まってしまったことです。理由は簡単で、私の出身高(偏差値60)よりも彼の出身高(偏差値70)の方がはるかにハイレベルだったからです。私は納得いかなかったので抗議をしますが、転入生二人を理数コースに入れるわけにはいかないことと、彼が高偏差値高校からの転入生ということで、私の抗議は全く受け入れられませんでした。この時私は「これが学歴至上主義社会というものなのか・・・」とやるせなさを感じていました。理系学部に行きたかった私にとって理数コースに行けなかったことは、痛恨の極みとしか言いようがありませんでした。
転入試験が簡単過ぎてやばかった
転入試験は問題量こそやたらと多かったものの、試験そのものは簡単過ぎて拍子抜けしたほどです。一緒に受けた転入生も問題が簡単過ぎてビビったと言っていました。二人で「この高校大丈夫なのかw」と転入先の学校のレベルを疑問視したりもしました。I高で最後に受けた2学期の期末テストが学年36位で、転入当初のT高で受けたテストが学年10位だったことを考えると、T高の偏差値は50~55くらいだったと思われます。今ではその母校が、自称とは付くものの進学校と言われているようなので、時代も変わったものだと思ってしまう今日この頃です。
<教務主任と再び面接>
転入試験が終わった後、教務主任に呼ばれて二人で話をします。私は開口一番「阪神遂に日本一になりましたね!」と言うと、主任も「君も阪神ファンか!」と喜び、二人で野球の話で大いに盛り上がりました。主任が私に言いたかったことは、もう一人の転入生が県内の高偏差値高校からの転入生なので、私が彼と比べられて辛い立場に置かれるかもしれないことや、教育委員会の中にも関東から関西の転校に難色を示している人間が多いことを挙げ、最後の最後に教育委員会からストップがかかる可能性があるということでした。その時は、何と言う理不尽な話だと憤慨していましたが、まぁ、言葉の壁という巨大な壁が立ちはだかっていることは肌で感じていたので、そうなるのも無理もないかとも思っていました。
土壇場まで転校できるかどうか分からないということは、逆に言えば、こっちも最後の最後でドタキャンできるというわけで、この後、それはそれで良かったと思えるようになっていきます。


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