I高の終業式には出たのですが、その時の記憶が全くありません。終業式終了後、母と関西へ向かいますが、その新幹線の中にI高の教師達がいたことには本当に驚かされました。先生達は8人いて、新幹線の中で酒盛りをしていたのですが、私はばれないように上着を顔に掛けて寝ていました。後で母にその事を話すと、「あのうるさい酔っ払い達、教師だったの!」とかなり驚いていました。
こんなに好きだったのか
宝塚で冬休みを過ごすことになるのですが、Kさんのことを忘れるためだけにI高という地上の楽園を捨て、地獄が待つT高へ転校することを決めたのに、Kさんのことばかり考えている自分に愕然としていました。何で俺は転校しなければならなかったのか、Kさんと幸せな学園生活を送りたかった、先生と東大目指して勉強したかったと、同じことを頭の中で延々と繰り返す毎日でした。最後に見たKさんの天使のような笑顔が頭から離れず、涙で枕を濡らす毎日を過ごしていました。こっちに来ればKさんを忘れられると思っていたのに、Kさんへの思いは膨らむばかりでした。俺はKさんのことをこんなに好きだったのかと、失恋して初めてKさんへの愛の深さを知り、自分が失ったものの大きさに気づかされました。こんなに好きなのに彼女に好きの一言も言えず、抱き締めることさえも出来なかった自分が、本当に惨めで惨めで仕方ありませんでした。
初登校の日
いよいよ転校先のT高校への初登校の日がやって来ます。その日はとにかく緊張していました。呼び鈴を鳴らす音がしたので、母と二人で玄関へ行くと、隣の部屋の母親と娘が立っていました。その母親が「初日くらい二人で行ったらいいんじゃないと思って」と娘と一緒に登校することを提案します。私の母親も「こんなかわいい子と一緒に登校できて良かったわね」と言って、結局二人で登校することになります。二人で登校している間、私は彼女に学校のことを色々聞き、彼女と登校することで若干緊張感は緩んでいました。登校中に学校への近道を教えてもらうのですが、そこがかなり傾斜のきつい獣道で、私は思わず「こんなとこ通れるの?」と聞いてしまいますが、その子が「みんな通ってるよ」と言ったので、二人でその急坂の獣道を登って行きましたが、本当に傾斜がきつかったので、滑り落ちないか心配になっていました。
忘れていたボッチの寂しさ
クラスで自己紹介をして、その後、クラス全員が私のために自己紹介をしてくれますが、このクラスで今でも覚えているのは野球部員の二人だけです。転校生ということで、休み時間にみんなが私の周りに集まって来て色々聞いて来ます。こういうところは、高校生も小学生も変わらないんだなと思っていました。クラスメイトの質問に答えている途中で、いきなり、「関東弁しゃべるな!」と言われます。私が「関東弁?」と聞くと、関東もんが話すから関東弁みたいに言われ、別の人が東京弁とか言っているのを聞いて、関東の人間が関西弁、大阪弁と言うように、関西の人は関東弁、東京弁というのかと思いました。関西では関西弁が標準語だから、関東弁のような田舎もんの言葉をしゃべるなと、無茶苦茶なことを言われたのでかなり驚かされました。昼休みになり昼食を摂りますが、ボッチは私一人でした。I高でも入学当初はボッチでしたが、その時は、ボッチは私だけではなく何人かいました。1人寂しく昼食を食べながら、I高ではみんなとワイワイ言いながら楽しく食べてたんだよなと思うと自然と涙が流れていました。ボッチがこんなに寂しいとは思ってもいませんでした。転校初日にして、早くもI高に戻りたくなっていました。
不細工
昼食を食べている時に涙が溢れ出てたので、顔を洗いにトイレへ行く途中の廊下で、「あいつ本当に不細工だよね」という女子の声を耳にします。二人の女子が私の顔を見ていたので、その言葉が私に向けられていたことは明らかでした。女子から不細工と言われるのは何年ぶりだろうと思いながらショックを受けていました。少なくとも、I高では、女子から容姿のことで馬鹿にされたことは一度もありませんでした。トイレで鏡を見ながら、「確かに不細工だけど、何も面と向かって言うことはないよな」と思っていました。
T高には2年2カ月いましたが、同学年の女子と口を聞いたことがほとんどありません。I高で一回の昼休みに女子と話す時間の方が、T高の2年2カ月で同学年の女子と話した時間よりも長かったです。それくらいT高では、同学年の女子とは話していません。


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